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オレンジ色通信

ふつーの50代主婦の今日のツボ

 

父の遺影の写真

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9/24(月)

父の遺影の写真はそれはそれは穏やかな笑顔。
笑顔というより、はにかんだという感じかな。
この写真を遺影にしたいきさつがちょっと不思議・・・・。

今、実家を売却中で、あたしは時間を見つけては親家片作業に追われていたんやけど、
父が今回の肺炎で入院する前日の9/17(火)に、あたしは両親のアルバムを処分している。
その日の日記は このリンクから読めます。
  親のアルバムの処分

あろうことか、、、両親が亡くなった時、棺に入れたげるわ、、と、数枚の写真をそれぞれの分持って帰ってきた。
父の分は、今回、その通り、棺に入れることになってしまったんやけど。
その他に、あたしは、どうしても気になる写真が1枚あって、その写真だけは自分が持っていたくてもらってきたのがあった。
家に帰ってきた時も夫テツに、
「この写真、ええ写真やろ? お父さんの顔、、すごくいいよな! いい顔してるよな!!」 って見せていた。
それは父と母がお出かけ先で、誰かに撮ってもらったような写真だった。

その写真をもらってきた翌日に父は入院し、5日後に帰らぬ人になってしまった。
そしてこの写真を遺影にした。
なぜ、あたしがこの写真だけがどうしても処分できず、持って帰ってきたのか。

父の葬儀には父の唯一のたった一人のお友達がご夫婦で来てくれた。
父と母は社内恋愛で結婚して、その友人も同じ会社で働いていらっしゃって、今から10年ほど前によく夫婦二組ででかけていたというのを聞いたことがあった。
家庭内別居のうちの両親も、このお友達ご夫婦のおかげで出かける口実があったようだ。
もしかして、この写真って・・・・・?

「この写真、もしかしたら〇〇さんが撮ってくださったんやないですか?」 と葬儀の前に聞くと、
「そうそう!! 僕です。僕が撮った写真です。あー懐かしいなぁ・・・・」と。
「おじさん、これ父の遺影にしたんですよ。 こんないい顔の父の写真を撮ってくださってありがとう。 
一生、大切にします。」 と伝えたら、
「光栄の極みです・・・」 とおじさんは声を詰まらせた。

父の大切な友達が撮ってくれた1枚の写真。
それをあたしがなぜか捨てることが出来ず、実家から持ち帰っていた。
それが遺影になる・・・・・。

これってただの偶然? それとも虫の知らせ?
不思議なこともあるもんだ。 あたしの手元に残ったたった1枚の両親が並んで写る写真。 

IMG_20190915_0006iei.jpg

senior01_z_12.png 理恵 2019.9.24

あ、そういや、父が老人ホームに入る前に母に会いに行って、二人が並んでる写真も撮ったな~
父、号泣しとるけど(笑)
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喪主は大変

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9/23(月)

父とお別れの時間を頂いて、ほどなくして看護師さんが父の身体をきれいにするからと言って入ってきた。
亡くなる1日前にあたしが泣きながら訴えたあの看護師さんだった。
病室に戻ると、少し消毒液の臭い。
退院するときに着るようにとホームの人が用意してくださった、いつもの白のポロシャツと黒のパンツに着替えた父は、
本当に穏やかな顔だった。

そこからもう泣いてる暇なんてないんだわ
帰る家がもうない父の亡骸を運んでもらう先は葬儀会場。
そういや、父は、7月に腎不全で入院していた時に、葬儀屋に友達がいてるから、自分の時は頼むと電話してあるって言ってたので、その葬儀屋さんにきてもらった。
なんとまぁ・・・父の用意のいいこと・・・。

父を白い布で包んで、ストレッチャーで運ぶ。
最後まで付き添ってくれたあの看護師さんに、
「あの時はすいませんでした。あたし、つらくて、看護師さんに色々と気持ち、聞いてもらって・・・。」 と伝えた。
看護師さんは、「いえ、いいんですよ。」と優しく笑ってくれた。

父と一緒に車に乗り込んで、さっそく通夜、告別式の日程の打ち合わせ。
自分の葬儀はこのホールで!!と決めていた父の希望を叶えるためには、今日と明日しか空いていないらしい。
ホールは押さえられたとしても、なにぶん、今日はお彼岸。
お寺さんの住職さんが超~忙しい日。 いきなりの要望に応えて下るのか・・・

祖父母の時から懇意にしているお寺のご住職さんに連絡を取り、本日、急ではあるけれど、通夜、明日、告別式をして頂けないかお願いすると、快く引き受けてくださった。

祭壇はどうする? 花は? 遺影は? 粗供養は?
何人、通夜の後、食事を用意する?そのランクは?
考えている暇なんてない。 パッパと決めて、葬儀屋さんもフル回転。 通夜の準備は短時間で組み立てられていった。

本当に急なことで、しかもタイトな日程で行うので、
「父が亡くなりました、で、本日、19時から通夜です。」 という連絡を身内と父のホーム、たった一人の父のお友達、そして母にいれる。
そんなバタバタなのに、みんな集まってくれた。

初めての喪主・・・ふぅーーーー。右も左もわからんのに、葬儀屋さんの細やかな心配りのおかげで無事に終えることができました。

遺影の父は、本当に穏やかで優しくはにかんだ顔。
この遺影にまつわる不思議な話をこれから書こうと思う。

こういう非日常的な事柄において、 何かしら不思議な事ってあるんやな~と思う。
例えば「虫の知らせ」 ってあるでしょ。 
あたしはあまりそういうものは、さらりと考える質で、単なる偶然と思うんやけど、
今回、父の死において、「人間には本来、自分や親しい人の死を予知する能力が備わっているのではないか。」
と考えざるをえない出来事があった。

senior01_z_12.png 理恵 2019.9.23
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危篤状態から3日目の朝

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9/23(月)

また朝がきた。思うことは同じ。
昨晩、病院から電話はなかった。父はまだ頑張っているんだ。
今日も苦しむ父の病室で、ただただ父のあえぐような息の音や、のどに詰まった痰を吸い取る音を聞く。
入院した日から脈拍はずっと100を超え、父はもう5日間、走り続けているような体力の消耗。
はぁ・・・・・。 つらい。

台風17号の直接の影響はなかったけど、夜中に雨が降ったんやな。
道が濡れ、木の葉が舞った跡がある。
台風一過ですがすがしい青空。 洗濯物を干しながら、心の中で父に話しかける。
「お父さん、ショウゴの式典にどうしても行きたいねん。 もう十分。つらいやろ。 もう終わりにしよう。
 今日でさよならしよう。 お父さんやったら、 俺の事はいい。おまえ、行ってこい。行ってやれ。って絶対言うよな・・・」
そう思っては、また、とてつもない罪悪感、良心の呵責にさいなまれる。

下の部屋に下りて行って、朝ドラを見ていたら、電話が鳴った。病院からだった。
「お父さんの血圧が40に下がっています!今すぐきてください!!」

夫テツと車庫へ走る。 まだ寝ているうーたを起こしてすぐ来い!とショウゴに告げて。
心臓が口から出そうで、声がうわずる。

父の病室に続く廊下のつきあたりのナースステーションから看護師さんが走って出てくる。
えっ・・・・そんな状態なん。
父の病室のドアを開けると、今までと同じように酸素マスクをしてる父が居た。
「お父さん!!」って声をかけて横のモニターを見ると、
0・・・・・つーーーーーーーーーと線が左から右へ 
0・・・・・つーーーーーーーーー  赤く点滅して光り・・・脈と呼吸が「0」

嘘でしょ!!!   嘘や お父さん、死んだ。 間に合わんかった。

看護師さんが、「もうすぐ娘さん来てくれるから頑張って! って何度も声をかけたら、最後に おーーーーと声を出されました。」
と教えてくれた。

ごめん、ごめん、ごめん、ごめん
一人で死なせてしもた。
あたしが、朝、あんな事願ったから。 ショウゴの式典に行かせてっていうたから!!
きっと、そうや。 お父さん。
ショウゴとうーたが入ってきた。 「おじいちゃんが!」 そのあと、何て言うたか自分でも覚えていない。

父にしがみついて泣いた。 ガリガリの父の胸に。
ひとしきり泣いて、父の死を受け入れた。そしてやっと 「ありがとう。」 って思えた。 
お父さん、 あたしの願いを聞いてくれたんやな。 

母がグループホームに入所した今年の2月から父とあたしの7か月間の、すごく濃密な時間。
まだ実家であたしが暮らしていたころ、怖くて嫌いで、ほとんど口をきいたことさえなかった父。
今まででこんなにしゃべったこと、なかったよね。
父がけっこう、おしゃべりだって気づかされた。 父の笑い声を初めて聞いた。
口下手で、不器用で、だからこそわかりにくい、気難しい父の、愛情を感じた7か月間だった。

senior01_z_12.png 理恵 2019.9.23 
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危篤状態から2日目

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9/22(日)

朝、目覚めてまた思う。
・・・・病院から電話なかった。 父はまだ生きている。いや、、、死んでない。
またつらい、つらい1日が始まるんや。 
病室で苦しむ父の横で、それを見ながらどうしてやることもできない。 ただ黙って見つめているだけ。
変化がないか、繋がれているモニターの数字をただ見つめているだけ。

きのう、ショウゴが父に会いに来た。 危篤だって説明してあったのに、ピンときてなかったのか、、、。
病室に入ってくるなり、 「おじいちゃん、元気??」って明るく言って、父の様子をみて絶句しているショウゴ。
「・・・・な、、訳ないよな。おじいちゃん・・・・。」 と現実を突きつけられて言いなおすショウゴ。

夫テツがショウゴと一旦、家に帰って、あたしは一人、病室に残される。
父が会いたかった人たちの最後のショウゴも来た。 
もう、ええやんか。 もう、終わりにして。 もう、見てられへん。もう、つらい、しんどい、もう、いやや。
看護師さんに泣いて訴える。
何のために、治療してるのかわからん! 肺炎が治まってきたってその先に待ってるのは「胃ろう」でしょ。
それは父には絶対、受け入れられない。 
父は、口の中に大きな腫瘍があって、本当は食べ物も細かくするとか、ムース食とか、そうした方がええねんけど、
食べた気がしないって言うて、老人ホームでもみなさんと同じ普通の食事にしてもらってる。
それは、父のリスクを承知の上で、それでも残りの人生を好きなように生きてほしいと思っているから。
治ったって、その先の父の人生は、高齢の父には可哀想すぎる!!!
もう、終わりにしてやってほしい。
そう思いながら、父の横に座って、ずっとただ父が死ぬのを待っている気がする。
いつ終わるの?ってことは、いつ死ぬの? 終わらないってことは、なかなか死なないってこと。どうなっていくの?
そんな事を思ってしまう、自分の罪悪感が耐えられない!!! 

看護師さんは、「私たちは全力でお父さんがまたホームに元気に帰られるよう、精一杯努力します。」とおっしゃった。

もう、あたしは精神的に限界だった。 気持ちの行き場を見失い、持って行きようのない悲しみと怒りでめちゃくちゃだった。
夫テツとの会話のちょっとした言葉にもかみついた。

26日に、ショウゴの就職先の式典があって、半年間、全寮制で勤務してきたショウゴの修了式。
どうしても行ってやりたい。この日を楽しみにしてきた。
このまま、父が状態変わらずだったら、あたしは式典に行けない。
父を放ってはいけない。 でも、行きたい。 もう、父、そんな頑張らなくていいのに・・・・
ほら、またあたしはこんな最低な事を思う。あたしは父が死ぬのを待っているんだ・・・・
これが娘の思う事か! 

しんどく苦しい息をして、精一杯、息をして、必死で生きようとしている父の横で、
もう終わりにして・・・と願う。
今まで好き勝手をしてきた父。母に暴力をふるって、家庭内別居状態だった実家。
父が死んだって涙ひとつでないや、きっと。 って思ってきた。
何度、心の中で 「死ね!」と毒づいたことか。
でも、、、 その 「死ね!」 と、今、あたしが思っている 「終わりにして。」 と願う気持ちは全然違う。
涙があふれて止まらない。

今日はあたしの誕生日だった。

senior01_z_12.png 理恵 2019.9.22 
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危篤状態から1日目

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9/21(土)

きのうの夜、旅行から帰ってきた、うーたを連れて、夜遅くにまた父のところへ。
危篤状態は続き、熱は40度。 目は開いたまんまでグレーに濁った瞳は上の方を向き、
息は荒く、はぁーはぁーと苦しそう。 
「おじいちゃん。」 うーたが声をかける。
意識はないのだけど、きっと耳は聞こえてるよって言いながら、
「お父さん! うーた来たで!!」 と、額や首にぐっしょりかいてる汗を拭いてやる。
看護師さんに、「家に帰ります。」 というと、
「もしも急にお父さんの状態が落ちて、もし間に合わなかったら・・・・」と心配されたけど、病院から近いし、泊まりこむというのもなぁ・・・・と思い、
「急変したら真夜中でもかまいません。5分で来れますから。」と言って自宅へ帰った。
携帯電話を抱きながら眠る。

朝、目覚めてすぐ思う。
・・・・病院から電話なかった・・・・ 父は生きている

危篤状態から1日目。
病室に入ると、相変わらずの父がいた。 
モニターを見ると、1分間に130ほどあった心拍が100ほどに下がっていた。
熱も37度台に下がっていた。

朝から父の妹(あたしの叔母)と、だんなさんである叔父。その娘(あたしのいとこ)が来てくれる。
叔父は数年前のくも膜下出血の後遺症と去年の大腸がんの手術で車いすなのに、遠方はるばる来てくれた。
叔母が 「兄ちゃん! 兄ちゃん!」と呼びかけると、父の瞳が少し動いた。
酸素マスクの中の口があうあうと少し動く。
手を動かして、何か訴えようとしている。 これは!! 意識が戻っているのでは??

お昼ごろ、叔母たちが帰ったあと、また同じように、はぁーはぁーと荒い息をして苦しそうな父を見ながら、
もし、意識が戻ったら・・・?
もし、肺炎が治まってきたら・・・? 
それは喜ばしいことなんやけど、でも、その先に待っているものは 「胃ろう」 
そして杖で歩いていた父には、過酷なリハビリ。車いす生活。最悪、寝たきり。

ならば、 父、頑張れ! とどうしても思えない。
じゃー、なぜ、今、こんなつらい治療をしてる? 治すため。 でも、治ってもその予後は最悪。
その抗生物質の点滴をどんどん入れてるのは何のため? 治すため。 でも、胃ろうなんて絶対させられないし、父も受け入れるはずがない。
どうしたらいい? どうしたらいい? 

危篤と言われて、覚悟をする。 そして、もしかして危篤状態から復活するかもしれないと希望を持つだろう。
「覚悟と希望」
でも、あたしには、希望がない。 絶望しかない。
いったい父はその辛い状態をいつまで続けなければいけないのか・・・その先に希望はないに等しいのに。
いったい父は何のために今、治療をしているのか・・・・その先に受け入れがたい現実が待っているのに。

もう何がなんだか、あたしの中で混乱してきて、
あ、、、そうや。 ショウゴ。 ショウゴがまだ勤務先から帰ってきていない。
今晩、帰ってくる。そして父に会いに来る。
ならば、それまで。 そのために父は頑張っているんだ。 きっとそう。
父に、「夜にはショウゴが来てくれるから!!」と声をかけた。

senior01_z_12.png 理恵 2019.9.21
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プロフィール

理恵さん

Author:理恵さん
理恵さん(53歳♀)                              夫テツ(同い年♂)                                 ショウゴ (23歳♂)
うーた(大3♂)

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